ACP(Advance Care Planning:アドバンス・ケア・プランニング)を現象学的な視点から捉えると、それは単なる「将来の医療方針を決めるための手続き」ではなく、患者が病い1)を経験するなかで、自らの生の意味や価値を他者とともに探求し、語り合う過程として理解されます。
現象学では、人間を単なる生物学的存在ではなく、「生きられた身体(lived body)」をもち、世界との関係のなかで意味を形成する存在として捉えます。特に哲学者・現象学者である S. Kay Toombs は、病いによって患者の時間感覚や身体感覚、他者との関係性が大きく変容すると述べています。患者は病気になることで、それまで自明だった日常世界を失い、新たな意味づけを模索することになります。
この視点からみると、ACPの目的は「延命治療を受けるか否か」などの選択肢を事前に決定することではありません。むしろ、「自分にとって何が大切なのか」「どのように生きたいのか」「病いをどのように受け止めているのか」という患者の語りを通して、その人固有の世界を理解しようとする営みです。患者の価値観は固定されたものではなく、病状の変化や人生経験によって揺れ動くため、ACPもまた継続的な対話として位置づけられます。
また現象学では、人間は本質的に他者との関係性のなかで存在する「間主観的存在」2)と考えられます。そのためACPは患者個人の自己決定だけで完結するものではありません。家族や医療者との対話を通じて、患者自身も気づいていなかった思いや価値観が明らかになることがあります。医療者の役割は、選択を迫ることではなく、患者の語りに耳を傾け、その人の世界を理解しようとすることにあります。
在宅医療や総合診療の現場では、患者の日常生活や家族との関係性のなかでACPを進めることができます。そこでは「どの治療を選ぶか」という医学的判断だけでなく、「孫の成長を見届けたい」「住み慣れた家で暮らしたい」「家族に負担をかけたくない」といった生活世界の意味が重要な手がかりとなります。
したがって、現象学的なACPとは、将来の医療行為を事前に決定する制度ではなく、病いによって変化する患者の生活世界に寄り添いながら、その人にとっての「よく生きること」と「よく死ぬこと」の意味を、患者・家族・医療者が共に探求していく対話のプロセスであるといえます。これは「何を選択するか」よりも、「その人がどのような存在として生きているのかを理解すること」を重視する実践なのです。
現象学の創始者である哲学者、エトムント・フッサール(1859~1938)は「一緒に哲学する(ミット・フィロゾフィーレン)」という言葉を好んで用いたそうですが、まさにACPは患者や家族、かかわる多職種みんなで一緒に哲学することかもしれません。
<脚 注>
1)文中の「病い」はillnessのことであり、disease(病気)ではありません。
2)現象学における「間主観的存在」とは、客観的な世界や自己の存在が、単独の「私」の認識だけでなく、他者を含む複数の主観(意識)が交わり、共有されることによって初めて成り立つというあり方を指します。
以前より、現象学の研究において、S. Kay Toombs著(永見 勇 訳)の「病いの意味―看護と患者理解のための現象学」という本を探していました。同書籍は既に絶版となっており、市販されていないことから諦めていましたが、知り合いの本屋さんが新潟青陵大学図書館で除籍となり廃棄される寸前にこの本を探し出してくれました。そういった経緯で私の手元に届いた貴重な書籍です。新潟青陵大学図書館と知り合いの本屋さんに感謝です。私にとっては重要な参考書で、難解な部分も多くありましたが、なんとか通読しました。
当稿「現象学的な視点から捉えたACP(Advance Care Planning:アドバンス・ケア・プランニング)」は、下に掲げたS. Kay Toombs著(永見 勇 訳)「病いの意味―看護と患者理解のための現象学」を参考にまとめたものです。
上の画像は、現象学の創始者である哲学者、エトムント・フッサール(1859~1938)

