精神保健システムを地域生活中心へ
83歳男性。夜間の徘徊行動があり、家族介護に限界をきたしているとのことで、精神病院へ紹介入院させてほしい、との相談を受けました。
「徘徊」とは、もともとは目的もなくうろうろ歩き回ることを意味します。しかし、認知症の人の「徘徊」といわれる現象を、「あてもなく、何の目的も意味もない」と捉えることは適切ではありません。認知症の人が歩き回るのは、それなりの目的や理由があります。
アルツハイマー型認知症などの場合には、ある目的をもって家を出たが、その目的を忘れたり、途中の自宅までの道順を忘れて迷子になったりします。なにをしようとしているのか、本人の思いに耳を傾け、その目的や理由をよく探り、対応方法を検討する必要があります。徘徊したことを叱られると、「ここは叱られる嫌な場所」という印象を強め、徘徊を助長することにもなります。
このケースの場合、ご家族から話を聞くと週3回のデイサービスに行った日は、夜間もよく寝て、徘徊行動はほぼ見られないとのこと。要介護3の方ですから、月から土曜日週5回のデイサービス参加が可能と思われますので、まずはデイサービス参加回数を増やすことでの対応を提案しました。
認知症に関する国家戦略を掲げている国々では、認知症がある人のニーズや自己決定を尊重し、住み慣れた地域での生活を支えていくことが、政策の基本的な達成目標となっています。認知症がある人の場合、環境の急変に適応していくことが難しく、深刻なリローケーションダメージ(転居や入所・入院といった生活環境の大きな変化が心身の状態に及ぼす悪影響)を受けてしまうことからも、精神科病院への強制入院は極力避けるべきと考えられているからです。
現在、我が国でも、要介護状態が重度であっても、住み慣れた地域で生活できるように、住居・医療・介護・予防・生活支援などを一体的に提供する地域包括ケアシステムの構築を目指していますが、認知症がある高齢者にとってもその重要性が指摘されています。こうした指摘にもかかわらず、我が国では認知症がある人の精神科病院への入院は増加傾向にあり、在院日数も長期化しています。
しかし、家族介護者は、認知症がある高齢者や家族を支える地域資源が極めて脆弱な中、暴言・暴力・興奮、抑うつ、不眠・昼夜逆転、幻覚・妄想、せん妄、徘徊などの認知症の人の行動・心理症状(BPSD)への対応に疲弊してしまう場合も少なくありません。我が国では、疲労のあまり家族が入院を望んだとき、本人の同意がなくても、精神保健指定医の診察と家族の同意に基づいた強制入院(医療保護入院)が可能です。認知症高齢者本人の権利擁護の観点からその手続きに問題があるとの指摘がありますが、こうした制度上の問題が、貧弱な地域資源とあいまって、「家族の介護がだめなら入院」となってしまい、入院患者数の増加という現実を生み出しています。
我が国では、戦後、隔離収容主義に基づき民間病院を中心に精神科病床数増加を誘導した施策が展開されたことなどにより、今日では諸外国に比べ、対人口当たりの精神科病床数が極めて多く、入院期間も顕著に長期にわたっています。2004年の「精神保健医療福祉の改革ビジョン」は入院医療中心から地域生活中心へと転換していくことが必要としました。
しかし、下のグラフのように精神科病床数や入院患者数は、劇的な減少傾向を示していません。
入院患者の内訳をみると、統合失調症が最も多い傾向は依然として維持されていますが、その割合は徐々に減少しており、他方、認知症の割合が増加しているのです。つまり、統合失調症では、初発や若い患者さんなどを中心に入院期間の短縮化や地域生活への移行の流れが顕著になっており、その結果、空きベッドとなる精神科病床も少なからず増えるわけですが、その病床を代わりに認知症の人の入院で埋めてしまっているともいえます。
日本の精神保健システムを本当に地域生活中心へと転換する必要があるというならば、精神科病床の徹底した削減を進めながら、同時に、入院医療に集中していた財源やスタッフなどを、きちんと地域ケアへと再配分していく改革を推し進めなければなりません。このことは認知症に関する国家戦略を掲げている国々が推し進めている、認知症がある人のニーズや自己決定を尊重し、住み慣れた地域での生活を支えていく政策に、日本の認知症ケアの在り方を近づけていくためにも必要なのです。