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新型コロナウイルス感染症とアドバンス・ケア・プランニング(ACP)

未曽有の感染症流行期にこそ人生観・死生観を考える機会に

新型コロナウイルス感染が全世界に広がり、私たちは経験したことのない脅威にさらされています。
この事態を悪化させないために、私たち一人一人ができることは、自分が感染しないこと、万が一感染したとしても、他人に拡散させないこと、いわゆる3密を避ける以外にありません。仕事が縮小され、家庭にこもり、家庭内の雰囲気が悪くなるなどの弊害も伝えられておりますが、ここでもう一度私たちの生き方について考えてみる機会にしたいものです。
厚労省や日本医師会がACP(アドバンス・ケア・プランニング)を推奨し始めて(平成303月)そう時も得ていませんが、ここでACPについて家族や親しい人たちと話し合うチャンスにしてみてはどうでしょうか。
今の世界の情勢を見るにつけ、いつ自分や家族、近しい人が新型コロナウィルスに感染してしまう、もしくは知らず知らずのうちに感染させてしまうといった事態に陥ることも考えられる状況になってきてしまいました。

不幸にも感染してしまうと、隔離病棟に入ってしまうこともあり、家族などと十分な連絡が取れなくなってしまう可能性があります。また、人工呼吸器がつけられ、会話ができなくなってしまうことも考えられます。最悪の場合、短期間のうちに生死を彷徨うような状況になってしまうかもしれません。
そのようなときに、「自分は何を大切に思いながら生きてきたのだろう?」「何を大切に、これからの人生を過ごそうと考えていたのだろう?」などと思っても、それを十分に伝えることができない可能性があります。周りの近しい人たちも、「もっと話しておけば、きちんと聞いておけば……」と後悔する場面もあるかと思います。
ACPについて話し合うことは、「人工呼吸器をつける・つけない、集中的な治療を希望する・しない」などのような医療行為の選択ではなく、「自分の人生の中で、何を大切に生きてきたか?」「自分は、これからの人生を、どのように過ごしていきたいと考えているのか?」など、自分の人生観を振り返って考えながら文書として書き留めておくことが大事です。

具体的な医療行為は、実際の場面になってみないとわからないところが多々あります。現状において、医療チームは最善の努力をしてくれるものと考えられます。しかし、感染大爆発により医療資源が枯渇してしまったときに、自分、もしくは近しい人に、どのような医療資源が配分されるのかは全く予想がつきません。
ですので、これからのACPにおいては、具体的な医療行為に対する希望を考えるよりも、まずは自分の人生観、死生観について考えてみて、それを家族などの近しい人に伝えておくことが大切なのではないかと。
私はまだまだ老体に鞭打って、クリニック(診療所)でプライマリ・ケアを実践しています。プライマリ・ケアの外来診療において感染対策を厳格に適用すれば、わずかでも新型コロナウイルス感染が疑われる患者のすべてを、医療資源が潤沢な中核病院へトリアージなしで紹介することになりかねません。それは中核病院が担うべき種々の重症疾患診療の資源を奪うことになります。プライマリ・ケアがゲートキーパーとしての本来の役割を果たし, 中核病院の医療資源を適切に維持することが求められています。
幸い、活動する愛媛県南予地域は、新型コロナ感染症の報告は10数例で、松山市を中心に中予地域で発生数が多い状況です。それでも、現在(5月4日)48名です。当院でも疑い症例が4例あり、一例は肺炎で家族が3月中旬イタリアからの帰国者がおり、PCR検査を実施しましたが陰性、指定病院へ細菌性肺炎と診断し入院しました。他の3例は、念のため2週間自宅待機していただき事なきを得ています(PCR検査は実施していません)。
写真は、スタッフが作ってくれた自家製の防護服スタイルの私です。