しかも、近年では病室で亡くなる割合が全死亡の8割を超える水準となっています。

このように社会が変わっていく中で、医学や医療技術の進歩を等しく受けたいと願うことは誰しもが思うことですが、一方で生老病死という、生あるものの一つの定めの下で老いた後の病気と死というものをどのように迎えるかということも問われているのではないでしょうか。

さらにこの先、さきほども述べましたように、高齢者全体に占める後期高齢者の割合が増加することから、何らかの支援や介護を必要とする認知症の高齢者の数も増加の一途をたどることになります。団塊の世代が全て65歳以上の高齢期に到達する2015年頃までには、その数は250万人を超え、さらに彼らが85歳を迎える2035年頃には380万人にも達するものと見込まれています(図3)。私も団塊の世代のアンカーですから、明日はわが身、人ごととはとても思えません。

今、予防医学の発達で、若年者(働き盛りの世代)の疾病自体は減っています。抗生物質の開発と進歩で、感染症はほぼ制圧できるようになりました(ただし、耐性菌の問題などありますが)。

心筋梗塞、脳卒中、癌で死亡しているのはほとんどが定年後の世代であり、超高齢社会の到来とあいまって、医療のあり方、意義についてこれほどまでにパラダイム(枠組み)シフトが必要な時代はないのではないでしょうか。